グリム兄弟の足跡を訪ねてードイツ、メルヘン街道の旅2017.8.17∼8.25に行きました。

8.16.2017(水)成田 ∼フランクフルト

・成田発KL0862(飛行時間約11時間)アムステルダム着。アムステルダム発 KL1769(飛行時間約1時間)フランクフルト着。

夕暮れのレーマー広場 名物料理のシュヴァイネハクセとサラダ

・市内の中心地にあるHotel Miramar に向かう。夜7時半を過ぎていたが、まだ明るい。旧市庁舎のあるレーマー広場を散策。広場に面したニコライ教会を見学し、市内を流れるマイン川に架かる「鉄の橋」の途中まで行って、カイザードーム(大聖堂)の姿を写真に収める。レーマー広場にあるレストランで、夕食。この地方の名物料理で、豚肉と赤キャベツを軟らかく煮たシュヴァイネハクセ(Schweinehaxe)にパンのダンプリングを添えた大皿と、とてもおいしいサラダ、そしてこれも名物の、リンゴのワイン、アプフェルバインを味わう。

8.17.2017(木)フランクフルト ∼ ハーナウ ∼ バート・オルプ

大聖堂のピエタ像
大聖堂のピエタ像

・ホテルで朝食後、再び、レーマー広場へ。昨日は夜で見えなかったニコライ教会のステンドグラスを眺める。大聖堂、カイザードーム(Kaiserdom)まで歩き、見学。ここで神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式が行われた。特にピエタ像が印象深い。河合隼雄が、もともとキリスト教はキリスト崇拝のはずだったが、民衆には女性崇拝の機運が強くマリア崇拝につながったと書いていることを思い出す。

・ゲーテの生家博物館見学。ゲーテハウスは第二次世界大戦で破壊されたが、終戦後元通りに復興された。18世紀のドイツ中産階級の暮らしぶりがわかる。暖炉が各部屋にあり、火を焚く口は部屋の外にある。ゲーテはグリム兄弟とは深い交流はなかったが、彼らの研究のために貴重な文献を貸したりしたこともあったとのこと。

ゲーテ生家博物館 もじゃもじゃ頭のペーター

・シュトゥルッヴェルぺーター博物館へ。グリムとは特に関係はないが、フランクフルト出身の絵本作者。「シュトゥルッヴェルペーター(もじゃもじゃ頭のペーター)」は、35か国語の翻訳が出ている。子供のための博物館仕立てで、子供たちが体験も交えて楽しみながら絵本物語を味わうことができる。

「メルヘン街道の出発点」グリム兄弟の像
「メルヘン街道の出発点」グリム兄弟の像

フィリップスルーエ城の前で
フィリップスルーエ城の前で

アスパラガスのカレー
アスパラガスのカレー

・ハーナウ到着は午後となった。グリム兄弟の生まれた町で、メルヘン街道の出発点。兄弟の家は破壊されて今はないが、現在の市庁舎前に兄弟の像がある。像の前の石碑には、「ここがメルヘン街道の出発点」とある。

・ゴルトシュミーデハウスのあるアルテ・マルクト広場へ。戦果を逃れて唯一持ちこたえた、1538 年に建てられた旧市庁舎。ハーナウには16世紀にオランダから金細工師たちが移り住んだ。現在は金銀細工の博物館となっている。

・木組みの金銀細工の館であったゴルトシュミーデハウスの建物を見ながら、遅い昼食。日本のウインナー6本分くらいもある大きなソーセージを固めのパンにはさんだホットドッグ。ポテトサラダや酸味のきいたコールスロー、それにコカ・コーラのおいしかったこと!

・午後3時近くに、フィリップスルーエ城を訪れる。フランスのバロック様式の素晴らしい調度品を備えた大きな城で、何組か結婚式も挙げていた。ここには、グリム兄弟の栄誉をたたえた記念室がある。ちょうどグリム兄弟の特別展が行われていて、兄弟の弟、エミールが描いたグリム兄弟のポートレート銅版画などの展示があった。

・温泉地バート・オルプに宿泊し、温泉に入る。ホテルで夕食。ピメントにマヨネーズとピメントの粉末を混ぜたものを詰め込んだものが入ったサラダ、赤キノコ、杏茸のクリーム煮、アスパラガスのカレーと、初めての味を満喫。

8.18.2017(金)バート・オルプ ∼ シュタイナウ ∼ マールブルグ

グリム兄弟の博物館
グリム兄弟の博物館

シュタイナー城
シュタイナー城

白雪姫と7人の小人の像
白雪姫と7人の小人の像

・朝食後に散歩を兼ねて、宿泊したHotel an der Thermeの近くにある塩水の「屋外吸入治療装置」を歩く。温泉の塩水が霧のように降っている道になっているが、昔は製塩装置であったと言う。

・ホテルを出発し、シュタイナウへ。アムツホーフ(グリム兄弟の家)を見学。兄弟の父親はハーナウ伯爵領のシュタイナウの領地管理主務官となり、一家はこの官舎に住んだ。現在は博物館。残念ながら写真撮影は禁止。グリム兄弟通りに面している。家の前の菩提樹が印象的。唯一、グリム一家が住んでいた時そのままの完全な状態に保存された貴重な場所。

・シュタイナウ城を見学。16世紀半ばに建設されたハーナウ侯爵の夏の宮殿。5角形の堡塁、ベルクフリートと呼ばれる高い塔は中世のお城の雰囲気に溢れている。深さ5メートルの空堀は25メートルほどの幅のところもあり、今は児童公園として使用。中にグリム兄弟の記念室あり。マリオネット劇場で使っていたグリム童話に登場する人形の展示もある。町を一望できるという塔に登った。176段の狭い階段を上って、6方にある窓を開けると、素晴らしい田園の景色とシュタイナウの街の様子が一望できる。

・市庁舎やシュタイナウ城の見える広場で昼食。蜂がたくさん寄ってきて、フライドポテトにつけるアップルソースやガス入りの水で割ったアップルジュースを蜂と一緒に?楽しむ。

・シュリュヒテルンのベルグヴィンケル(Bergwinkel)博物館へ。グリム兄弟の父親が、塩の取引を司り、この地で行政を行った。官舎としてここを使っていたので、兄弟もここに住んだことがある。

・マールブルク市に到着。雨がかなり降っていた。宿泊したVillage Stadthotelは駅の近く。しかし、レセプションは無人で、勝手にカギをとって部屋に。

・夕食前に駅舎見学。自転車を車両に持ち運ぶ人が多いのに驚き。

8.19.2017(土)マールブルグ ∼ラーンタール・ゴスフェルデン ∼ シュヴァルムシュタット ∼バート・ヴィルドゥンゲン

・マールブルグのホテルの部屋の鍵には苦労した。カード式の鍵を差し込んで、カチッという音がしたら、ノブを右にまわし、それと同時に力をいれてドアを押さないと開かない。一度は、内側からも鍵が開かず、部屋から出るのにノブを回しながらドアに体当たりしたほど。

・ 聖エリザベート教会を見学。1228年に病院のチャペルとして建て始められ、エリザベー トが亡くなってそのチャペルに葬られた。後に巡礼教会となった。ドイツ文化圏内の純粋なゴシック教会建築としては一番古い教会。

・ マルクト広場に出る。マールブルグは高台に城がそびえる丘の町。ほとんどの道が坂道 や階段で、どの路地にも古い木組みの家がきっしりと並んでいる。観光客が多く集まり、花屋さん、野菜や果物を売る店などが賑わっている。マールブルグ城は丘の上に、言葉通りに「そびえ」ていた。細い曲がりくねった道を車でここまで辿り着くのでさえ一苦労。しかし、城がある丘の上から町を眺める絶景に、誰もがその疲れを忘れる。グリム童話の挿絵を描いたオットー・ウッベローデは、この町の出身。KHM62『蜜蜂の女王』に城の中庭をそのまま描いている。城の北側の塔は「魔女の塔」と呼ばれ、16-18世紀にかけて、主に医学の知識のある者などインテリの女性が魔女としてこの塔に閉じ込められ、処刑された。

・町には、マールブルグ大学の校舎が点在しているが、広場から少し南に下がったところに、グリム兄弟も通ったであろう大学の建物がある。

グリム兄弟が下宿していた家
グリム兄弟が下宿していた家

・12時を知らせるマリエン教会の鐘をききながら昼食のあと、グリム兄弟が過ごした下宿を探す。歩行者天国になっている道の両側に様々な店が並び、兄弟が過ごした下宿を探すのに、時間がかかる。家にはプレートが付いているということで、道を行ったり来たり。やっと探して写真に納める。果物と野菜を販売する店になっていたが、家の正面2階の壁に古びた表示があり、また、店の入り口手前には看板も出ていた。

・午後には、ラーンタール・ゴスフェルデンにある、グリム童話の挿絵を描いた画家の家に向かう。田園の森の中にある屋敷で、近くの牧場には、アルパカやバッファロウ、牛が放牧されている。

・赤ずきんちゃんの博物館があると聞いていたシュヴァルムシュタットへ。この地域の民族衣装、特に刺繍の収集などがあり、直接に童話の赤ずきんちゃんに関わるものは見られなかった。ところが、グリムの「赤ずきんちゃん」はフランスのペローの話をもとにしたもので、赤いマントを着ている挿絵が多いのだが、この地方の人たちは、ドイツの「赤ずきんちゃん」はこの地方で用いられる赤いコップのような帽子をかぶっていると言う。帽子の色は、赤=未婚女性、緑=既婚の若い女性、紫=年寄りの女性、黒=夫が亡くなった女性ということだ。

7人の小人の寝室
7人の小人の寝室

城内部の展示
城内部の展示

・バート・ヴィルドゥンゲン市の、白雪姫の小さな博物館に到着。ここベルクフライハイト村には子供たちが休みに家族と共に訪れることが多いので、この地域のことを知ってもらおうとこの博物館を作ったとのこと。このあたりには鉱山が多く、最盛期には1,000名以上の鉱員が働いていた町。代々、人々は鉱石の採掘に携わり、鉱山の作業服は頭からすっぽりガウンのようなものを羽織るので、帽子をかぶった子供の姿は、小人のように見えたという。また、地下にもぐる作業のため、遺伝的にも背の低い人が多く、それが白雪姫の小人として登場しているとの説明を受ける。ある郷土史研究家がバート・ヴィルドゥンゲンの歴史を調べていて、白雪姫の話はここの話だとした。グリム兄弟はトライザの町の人から「白雪姫」の話を聞き取りしたが、トライザとバート・ウィルドゥンゲンは非常に近い。屋外に、「白雪姫と7人の小人」の像がたっていた。

・ 町を一望する丘の上にフリードリヒシュタイイン城が見える、バート・ヴィルドンゲンの宿に宿泊。

8.20.2017(日)バート・ヴィルドゥンゲン ∼カッセル ∼ハン・ミュンデン

・8月にしてはとても寒い朝。同じ宿に宿泊しいていた夫婦は、ここに泊まって、ゆっくりこの地方の町、特に木組家屋の町を見て歩くのだそうだ。

カッセルのグリム博物館
カッセルのグリム博物館

世界各国で出版されているグリム童話
世界各国で出版されているグリム童話

カッセルにあるグリム兄弟の銅像
カッセルにあるグリム兄弟の銅像

・カッセルのグリム兄弟博物館に到着。急に強い雨が降り始める。参考にしていた『ドイツ・メルヘン街道』(ダイヤモンド社)は2012年に出版されているが、それ以降にグリム兄弟博物館は移転され、素晴らしく近代的な建物になっていた。カッセルはグリム兄弟が大学を卒業した1805年から約25年間人生で最も長い時間を過ごした町。この間に、グリム童話第1巻と第2巻、第2版、50話の「小さい版」、「ドイツ伝説集」、その他にも民話や伝説に関する多くの書物を出版している。館内は明るいガラスの壁に囲まれたロビー(に)から下に降りると展示室。グリム童話の挿絵を1話に一つ以上を描いたマールブルグ出身のオットー・ウッペローデの原画、初版本『子どもと家庭の童話集』第1巻(1812)と第2巻(1815)、第2版第1巻、第2巻(1819)、第3巻(1822)も展示され、グリム家の子孫(が)から提供された、ユネスコの世界記憶遺産(Memory of the World)に登録された、グルム兄弟直筆のメモが細かく書き込まれた原稿等が並んでいる。世界170か国語に翻訳されているグリム童話の展示もあり、子供たちも楽しめる展示が工夫されている。自らが、数えきれないほどたくさんの人々に直接会って、民話や伝承話を聞いて集めた膨大な資料をもとに書かれた童話であることに感動。同じ手法が生かされた、グリム兄弟の偉業であるドイツ語辞典関連の展示も詳しい。FのFrucht(果実)以降はほかの学者が手掛けて完成したことは有名で、全16巻32冊が展示されている。グリム兄弟がこの辞典を書くために、どれほど多くの資料を集めたかを考えると、気が遠くなる。言葉の変遷と共に辞書の編纂は次々と引き継がれている。グリム兄弟の辞典が、民衆の言葉をそのまま反映していた。現代使われている4文字言葉を大きなラッパの口のようものに向かって言うと、グリム兄弟時代に使われていたその言葉にあたる単語が返ってくる。民衆の言葉も忠実に反映した辞典であることがわかる。

鉄ひげ博士の住んでいた家
鉄ひげ博士の住んでいた家

市庁舎の仕掛け時計
市庁舎の仕掛け時計

・5年に一度の世界中から作品を集めての美術展、ドクメンタがちょうど開かれていて、多くの人で込み合っている市庁舎と旧グリム兄弟博物館を外から見学。日本だとこういった催しに集まるのは大抵若い人たちだが、ここでは、年齢の高い人達が多く、芸術を楽しむ層が日本とは違うことを感じた。

・市庁舎からグリム兄弟通りに出て、グリム兄弟広場に出るとグリム兄弟の銅像がある。

・ハン・ミュンデンに1時間ほどで到着。ハン・ミュンデンは、ウエ(ヴェ)ーザー川とフルダ側が合流するところにある素敵な町。Fachwerkhotelに到着して、すぐに町の木組みの家々(の町)を見学。聖ブラジウス教会は、日曜日のため入れなかった。「鉄ひげ博士」の家をみつけて写真に納める。フルダ川沿いを歩き、そこで見つけた「鉄ひげ博士」のモーニュメントと共に写真撮影。「鉄ひげ博士」が歯を抜いているところを人形が演じる、午後5時の市庁舎の仕掛け時計をビデオに収める。

8.21.2017(月)ハン・ミュンデン ∼リヒテナウ ∼ バート・ゾーデン ∼ ゲッティンゲン ∼ハン・ミュンデン

ホレおばさん
ホレおばさん

菩提樹のある泉
菩提樹のある泉

ガチョウ姫リーズル
ガチョウ姫リーズル

・リヒテナウに向かい、「ホレおばさんの公園」に到着。町全体で、「ホレおばさん」を観光の目玉にしている。公園にある像はとても良くできていて、窓から枕をたたく様子が上手く表現されている。町の通りの所々に、観光ルートを示すために、ホレおばさんが、枕をたたいた時に散った羽のマークが印されていた。

・シューベルトの「菩提樹」がミュラーによって作詞された場所のあるアレンドルフに寄ってみた。市門をくぐって町の外に出ると、大きな菩提樹がある。アレンドルフが町になった1218年に植えられた菩提樹は1912年に一度落雷で枯れてしまったが、枯れた幹から新しい芽が出て今の樹が育った。ミュラーが旅の途中でここに寄り、詩を書いた。オリジナルの詩は「門の前の井戸の側、そこに1本の菩提樹が立っている」とあるが、1909年に日本語に訳された折に、「泉にそいて繁る菩提樹」となり、日本ではその歌詞が定着して、湧き水(井戸)の近くにある実際の風景とは違っている。

・大学の町ゲッティンゲンに到着。大学で学位をとった学生が、市庁舎のある町の中心にある「ガチョウ姫リーズルの像」に接吻をする習慣があるという。たくさんの人がその前で写真を撮っていた。大学の建物は町全体に散らばっていて、図書館がある場所に行った。たくさんの自転車が止まっていて、多くの学生たちが利用していることがわかる。大学の周りには、公園や森が多く、静かに散歩したり、ベンチに座ってゆっくりと書物を読んだりできる環境をうらやましく思った。

・この日はこの旅で1回だけ、前の晩と同じハン・ミュンデンの ホテルに宿泊。町に戻り、のんびり散策。ヴェーザー川とフルダ川が合流してヴェーザー川となるこの町には、立派な木組みの家が立ち並ぶ。止まっているホテルも古い木組みの家。

8.22.2017(火)ハン・ミュンデン ∼ ザババブルグ ∼ トレンデルブルグ ∼ ポレ ∼ ボーデンヴェルダー ∼ハーメルン ∼ フロートー

いばら姫の城
いばら姫の城

ラプンツュェルの城
ラプンツュェルの城

シンデレラの靴
シンデレラの靴

ほら吹き男爵博物館
ほら吹き男爵博物館

ネズミ取りの男の像
ネズミ取りの男の像

・今朝は川に沿って、濃い霞が立ちこめ、昨日とは違った町の趣がある。

・ザバブルグに到着。途中、車ごと川を渡し舟でわたる。遠回りして次の橋を渡るより、便利だとか。グリムの『いばら姫』はペローの『眠れる森の美女』をもとにして書かれたといわれといる。チャイコフスキーのバレー組曲、ディズニーの『眠れる森の美女』もモチーフは同じ。この城は14世紀初頭に建てられた。城の敷地に自然動物公園ができた後、その周りに「いばら」の生垣が張り巡らされた。その後、城は破壊されたが、19世紀になってグリム童話で一般に親しまれるようになり、1960年にはホテル・レストランに生まれかわり、結婚式も行われるそうだ。

・トレンデンブルク城に到着。『ラプンツェル』の舞台となった城。17世紀のイタリアの詩人バジーレの伝承話を脚色した『ペンタメローネ』に身ごもった女が鬼女の菜園に生えているパセリを盗んで、見つかり、生まれた子を鬼女に渡す約束をした話がもとになっている。180段以上ある階段を登った。塔の地下は監獄として使われたらしい。このことも、塔に閉じ込められたラプンツェルのイメージを生み出した一つの要因らしい。

・ポレ市のシンデレラの靴がある城に到着。ここでもまた高い塔にのぼり、ドイツの田園の風景を楽しんだ。眼下には、渡し舟の行き交いが見える。

・ほら吹き男の町、ボーデンヴェルダーへ。18世紀、ドイツのミュンヒハウゼンという男爵は、軍人を退役してからここの自宅に戻り、戦争の体験などを大げさに語った。砲弾が自分に向かってきたので、それに飛び乗り難を逃れた話の場面を表す像が博物館前にある。

・「ネズミ捕りの男」の話で有名な、ハーメルンに到着。「ネズミ捕り男の家」というレストランで「名物料理ネズミのしっぽ」を食べようと思ったが、昼食の時間が間に合わず断念。町の中心の石畳の道のあちこちに小さくネズミを彫ったプレートが埋め込まれている。「結婚式の家」と呼ばれる役場の仕掛け時計もネズミ捕りの男の話。「ネズミ捕りの男の家」レストランの脇にブンゲローゼンシュトラーセ(舞楽禁制通り)がある。ネズミ捕りの男が子供たちをここに集めて連れ去ったという記録があり、この通りでは、祭りの楽団も演奏を止めたりして静かに通り抜けるとか。

・フロートー市のホテル、Moorland Hotelに宿泊。ここは、メルヘン街道最後の温泉地。特に泥温泉が有名らしい。チェックイン後、ホテルの周りを散歩。高齢者が保養に来たり、温泉治療のために滞在したりする場所のようだ。

8.23.2017(水)フロートー ∼ブレーメン ∼ ハンブルグ ∼ リューベック

市庁舎の脇の音楽隊の像
市庁舎の脇の音楽隊の像

噴水にある音楽隊の像
噴水にある音楽隊の像

・メルヘン街道の終着の町、ブレーメンに到着。マルクト広場の市庁舎とその前に立つローラント像を撮影。この二つは世界遺産に登録されている。朝は逆光で広場にある聖ペトリ大聖堂はうまく撮影できなかった。『ブレーメンの音楽隊』に登場するロバ、犬、猫、鶏の像を探し当てる。ボェットゥヒャー通りから少し歩いたところに、噴水の長い蛇口の上に音楽隊の動物が一列に歩いているモーニュメントがある。『ブレーメンの音楽隊』では、動物たちはブレーメンには入らず、近くの村で平穏に暮らすことになったはずだが、ここの地下からロバの骨が発見されたという話があり、ブレーメンに来たことの証拠だとする説もあるようだ。かつて船乗りたちの居住地であったシュノーア地区を歩く。

・ハンブルグに到着。新しく ウエスティンホテルの上階(plaza)に音楽会用の素晴らしいエルプフィルハーモニーホール(Elbphilharmonie)ができていて、望用のフロアーを無料で公開していた。高いところから見るハンブルグの町は素晴らしい。川のほとりでは、観光船が行き交うのを見ながら、ゆっくりとビールやコーヒーを楽しむ人たちが多い。

・リューベックに到着。川沿いのRinghotel Jensenにチェックイン。小さな町で、可愛らしく美しい。マルクト広場を囲む建物は、おとぎ話に出てきそうな趣がある。トーマス・マンが家族と住んだ白い家の写真を撮る。町の空にきれいな気球が飛んでいた。夕食時に飲んだ白ビールのレモン添えがおいしかった。

8.24.2017(木)リューベック ∼ ベルリン

・10日間のドイツ、メルヘン街道の旅も終わりに近づいた。長いようで短い10日間。今日はベルリンに向かうが、その前にリューべックの港町を散策する。静かな川に沿って佇むこの町はとても気に入った。川辺の漁師町も散策。藁葺き屋根のかわいらし家が並ぶ光景は素晴らしい。町のマリエン教会には、世界最大級のパイプオルガンがある。また、第二次世界大戦で壊れた教会の鐘をそのまま保存、展示してある。

・ベルリンに向かう。特に表示がなければ、制限速度のないアウトバーンを180キロで走行。サービス・エリアは日本と似ている。トイレを使用するのにチップの代わりとしてだろうか、自動券売機に50セントを支払う。その切符を同じ場所にある売店で見せると、同額の買い物券となるシステムだ。

リューベックの漁師町
リューベックの漁師町

グリム兄弟の墓
グリム兄弟の墓

東ベルリンのカレー・ヴルスト
東ベルリンのカレー・ヴルスト

・ベルリン到着。グリム兄弟の墓へ。聖マテウス教会旧庭園にある。兄弟の墓とあと一 家の3名の墓が並んでいる。ここがメルヘン街道の本当の終わり?かもしれない。今回のグリム兄弟の足跡をたどる旅の終着点。

・ウィルヘルム皇帝記念教会は、第二次世界大戦で塔の先端が破壊されたままになっていた。2016年12月にテロのあった場所でもあり、教会の前にはテロで亡くなった人たちのためのローソクがたくさんに並んでいた。

・ホテル(Clipper City Home Apartments Berlin)に夕方到着。ベルリンの町を歩く、東西ベルリンの行き交いが厳しくチェックされたフリードリッヒ通りの「涙の宮殿」近くを歩く。市電に乗って、有名なカレー・ヴルストを食べに行く。ホットドックをグリルで焼いて、ケチャップをかけ、カレー粉をその上からかける。付け合わせのポテトサラダもおいしい。東ベルリンの人は、このシェーンハウザー・アレーにある店(といっても電車のガード下の屋台のようなところ)が一番おいしいと言う。西ベルリンにも有名な店があるそうだ。

・パリ広場、ブランデンブルグ門、ドイツ連邦議会議事堂のあたりは、観光客が一番多い場所。とにかくすべてが大きいので、つい先に見えているブランデンブルグ門まで歩いていくことにしたが、なかなか着かない。ブランデンブルグ門から共和国広場近くには、巨大な建物が並び、ロシア、アメリカなど大戦で勝利した国の大使館が並んでい(た)る。議事堂の屋上にある円形のガラスドームが印象的。予約しないと中に入れず、また、入場の検査も厳しい。ドームの中からの眺めは素晴らしいそうだ。

8.25.2017(金)ベルリン ~アムステルダム ~ 成田

カリー・ヴルストとビールの宣伝
カリー・ヴルストとビールの宣伝

白熊はベルリンのシンボル
白熊はベルリンのシンボル

・ホテルの近くを散策。東と西を遮っていた壁は、今はほとんど残っていない。市内から少し離れたところに一か所あるようだが、今回はそこまで行く時間がなかった。まずベーベル広場からフンボルト大学のある場所へ。なんとも立派な建物で、フンボルト兄弟の銅像が立っている。大学は、ウンター・デン・リンデン通りに面している。その向かい側には、ドイツ国立歌劇場。ベルリン大聖堂を遠くから眺める。宮殿橋からテレビ塔を見上げ、ジャンダルメンマルクト広場にあるコンツェルトハウス・ベルリンの前で写真撮影。この広場は、昔はもっと緑が多い憩いの場所だったとか。古い街灯には昔の姿が残っている。次に逆殺されたヨーロッパのユダヤ人のためのユダヤ人犠牲者記念館のある場所へ。途中でカレー・ヴルスト(Currywurst)の大きな宣伝があったので、記録写真を一枚。また、町の中心部にあるWestin Hotelの前に、ベルリンの壁の一部がモーニュメントとして飾られていた。通りのあちこちにシロクマの像がおかれていて、ベルリンのシンボルだそうだ。

・ベルリンを出発。アムステルダム空港乗り換えだが、とにかくだだっ広い空港で、込み合っていたため、成田便に乗る人だけ時間に間にあうように、別のラインで出国審査を受ける。搭乗口まで走った。成田に無事到着。

・グリム兄弟の足跡を辿る旅。「ニュートン時間」は11日間、260時間余りをかけた旅だったが、今思い返すと、ほんの2,3日のように思える。「ベルグソン時間」が短いのは、毎日、充実した時間を過ごせたからに違いない。

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